あなたにお勧めしたい「アドラー心理学」について 共同体
ようこそヒケナンブログへ♪
前回「アドラー心理学」の概要についてお話しました。
その中で3つのポイントを揚げましたが、それが下記の通りです。
- 目的論
- 課題の分離
- 共同体
今回は「共同体」について解説いたします。
共同体とは
共同体とは「他人は仲間であり、敵ではない。人生に競争なんてない。」ということです。
人は必ずコミュニティの中で生きていくことになります。決して一人では生きていけません。そのコミュニティの中で自分の価値を出していくには"仲間に貢献する“ことが大事だとアドラーは論しています。
「貢献なんて、偽善と一緒では?」
と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、「他人からいい目で見られたいから偽善を行う。」すなわち承認欲求を満たす行動よりも「純粋に他人の役に立ちたい」と思う気持ちは偽善とは言えないのではないでしょうか。
アドラーはこう論しています。
「純粋に他人のためを思って行った行動が、相手にとってはためにならないことがある。嫌われるかもしれない。でも気にしないこと。」
これが、概要編でお話しした本のタイトルにもなっている「嫌われる勇気」ということです。
例として、「電車の席を、高齢者の方に譲る」場面があるとします。
大半の人が嬉しいと感じると思いますが、中には「まだそんな歳じゃないぞ!!」と怒る高齢者もいるかもしれません。
その場合は「課題の分離」を使い、『相手がどう思うのかは相手の課題だから気にしないでおこう』と考え、気にしないでおくのです。
万人向けの考え方なんてありません。一部の人には嫌われるかもしれませんが、そんなのは気にしないで、自分が正しい、他人のためになる、と思ったことを大事にすることが肝心なのです。
しかし、とはいっても大半の人が「貢献」ではなく、「他人からどう思われているか」といった承認欲求を満たすことが自分の価値を出す手段だと考えます。ただ、前回の「課題の分離」で"承認欲求"を捨てなければ、他人の人生を歩んでいるとの同義だと解説いたしました。
また、承認欲求を満たしていくと「俺はあいつより認められたい」「あいつよりいい大学に入りたい」といった風に、"他人との比較"、つまり競争が発生します。
他人は倒すべき相手。
他人は勝たなければいけない相手
すなわち、「敵」になる。ということです。
周りが敵だらけの人生なんて、楽しいとは思えません。
あと、"他人との比較"や競争において、もう一つ怖いのが「劣等感」です。他人より劣っていると考えると、先ほどの「他人は敵」という考え方がより一層深まります。
健全な劣等感は、他人との比較ではなく、理想の自分との比較で生まれるもの
アドラーはこういう言葉を残しています。
例えば「あいつよりいい大学に入れた or 入れなかった」と考えるのではなく、「自分が理想とする大学に入れた or 入れなかった」と考えるということです。
承認欲求を捨て、他人は敵ではなく、仲間であると考え、その仲間に貢献していくこと、これこそが、コミュニティの中で自分の価値を出していく最善の方法であるのです。
最後に
いかがでしょうか。
この「共同体」はこれまで解説してきました「目的論」「課題の分離」を理解して初めて分かることだと思います。
これまで4回、アドラー心理学について解説してきました。
私の勉強不足な面もありましたが、アドラー心理学のことに少しでも興味を持ち、実践してくれたらとても嬉しいです。
下記に、私が参考にした情報を載せておきますので、ぜひこちらも参照していただき、もっともっとアドラー心理学について理解を深めていただければ幸いです。
・モチベーション博士さん
・ゆうメンタルクリニック池袋院さん
アドラー心理学=マンガで分かる心療内科・精神科in池袋 第1回「トラウマなんて存在しない!」
沖縄生まれ、沖縄育ちの純うちなーんちゅの30代男性会社員、二児の父です。
沖縄に関することや体験談、私や家族が気になったことなどをブログで発信しています。