なぜ沖縄の家の屋根の上にはタンクがあるのか~沖縄の水不足と断水の歴史~
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2019年の今年も沖縄に梅雨がやってきましたが、今年は空梅雨のようです。
このままだと少雨傾向になりそうですが、沖縄県民は"ある"嫌な記憶がよみがえる人が多いと思います。
それは…水不足による断水です。
今回は、この沖縄の水不足と断水の歴史や、屋根の上に設置されているタンクについて、取り上げたいと思います。
家の屋根の上にタンクを設置するのは断水に備えるため
昔の沖縄は、水不足による断水が度々発生していました。そのため、自衛手段として各家庭の屋上にタンクを設置して、雨水を貯めておく習慣がついてきました。
一軒家はもちろん、アパートやマンションにも一部屋ごと、もしくは複数部屋で一つ程度にタンクが設置されています。
水不足で断水が発生した場合は、そのタンク内に貯めた水を生活用水に使うわけです。
しかし、近年では沖縄県の水事情がだいぶ改善され、水不足による断水は無くなっています。そのため、タンクの水が使われることもなく整備が疎かになりがちです。タンク内の水もかなり不衛生な状態になっていることがあり、タンクの水が使われないことが多くなっています。
また、最近の新築住宅ではタンク自体が設置されなくなってきました。かくいう私も家を建てる際はタンクを設置しませんでした。
近い将来、屋根の上にタンクがある家は珍しい存在となっていくと思います。
沖縄の水不足と断水の歴史
沖縄は日本の中で、唯一亜熱帯気候に属する地域であり、年間降雨量は平均して約2,000mm程度で全国平均からみると比較的多いほうです。
しかし、本島や離島のほとんどの島が地形的な条件から大きな河川がないことや、また降雨量自体も梅雨期と台風期に集中することが多いなど、実はあまり生活用水に恵まれない地域であるのです。
そのような地理的事情と、過去に起きた太平洋戦争での悲惨な地上戦や、戦後のアメリカ統治の混乱もあり、水道インフラの整備が遅れ、たびたび水不足による断水が発生していました。
日本史上最長の「昭和56~57年沖縄渇水」
沖縄の水不足と断水の歴史を語る上で外せない、最悪の水不足と断水についてご紹介します。
それが1981年7月から翌1982年6月まで続いた「昭和56~57年沖縄渇水」です。
当時の沖縄は日本に復帰してから9年が経ち、経済が成長するとともに上水道の整備も進められており、水の需要が増加していました。しかしダムの数が4か所(県管理ダムが3か所、国管理ダムが1か所)しかなく、毎年のように断水が行われました。
その中で降水量が平年の3分の2、そして河川水量は平年の3分の1にまで落ち込んだことによって、なんと326日間にわたって、時間指定断水による給水制限が行われました。これは日本の断水の中で最も長い日数です。
その際に断水方法として、夜間断水や隔日断水(沖縄本島を2つの区域に分割して、各区域24時間ずつ交代で給水と断水を繰り返す)です。
特に末期になると隔日断水の給水時間が24時間から20時間に短縮されています。この4時間の間は沖縄本島全域で水が出ない時間帯である、という恐ろしい事態が発生していたことになります。
なお、断水中の間に人工降雨を試みがありましたが、期待するほどの成果は出ませんでした。また1978年に渇水を経験した福岡県から水の支援をいただくこともありました。
あと例外的に12月30日から1月3日までの年末年始期間だけは断水が解除されています。
この長期断水ですが、1982年3月末ごろから断続的にまとまった雨が降り続いたことで1982年6月7日に断水が解除され、終止符がうたれました。
最後に
いかがでしょうか。
沖縄の住宅の屋根に設置されたタンクの意味と、沖縄の水不足と断水の歴史についてご紹介しました。
本土の方が持つ沖縄のイメージとして、断水というキーワードはなかなか結び付かないのではないでしょうか。この記事をご覧いただいた本土の方で驚かれた方も少なくないと思います。
水は人間が生きていくために絶対に必要なものです。その水を絶たれることが、どれだけ恐ろしい事か皆さん簡単に想像できると思います。
水は限りある資源と認識し、大事に使っていきたいですね。
沖縄生まれ、沖縄育ちの純うちなーんちゅの30代男性会社員、二児の父です。
沖縄に関することや体験談、私や家族が気になったことなどをブログで発信しています。