沖縄女性の手に彫る入れ墨「ハジチ」についてご紹介します

2021.11.30沖縄ハジチ,入れ墨,勉強,文化,歴史,沖縄

ハジチが施された女性
ハジチが施された女性
画像引用: 沖縄タイムス+プラス(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/462429)
「はいさい。ぐすーよー。ちゅーうがなびら。」(こんにちは、皆さんご機嫌いかがですか?)
ようこそヒケナンブログへ♪

皆さんは入れ墨(タトゥー)について、どのようにお考えでしょうか?

日本では度々論争が起こるこの入れ墨ですが、沖縄では明治時代(実質は昭和初期)まで、女性の手に入れ墨を彫る「ハジチ」の文化があったことをニュースで知りました。

今回はこのハジチについて、歴史やいつまで行われていたのか、その理由などを含めご紹介します。

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恥ずかしながらこのハジチの文化について、私たちは全く知りませんでした…
私たちの勉強も兼ねてご紹介するね♪

ハジチの意味と歴史について

ハジチとは、沖縄で広く行われていた固有の風習で、女性の手(主に甲の部分)に施された入れ墨のことです。

沖縄の方言では「メーラビ」といいます。

ハジチが施された女性
ハジチが施された女性
画像引用: 沖縄タイムス+プラス(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/462429)

その歴史は古く、かつての琉球王国時代から明治末期ごろまでとされていますが、昭和初期頃まで密かに行われていました。

琉球王国時代が始まったとされる1400年頃からの歴史があるため、相当古く根強く残った風習と言えますね。

 

施術の仕方ですが、長さ20センチほど、厚さ3ミリ、幅2ミリほどの竹針を5,6本ほど纏めて糸で固定にします。

それに墨を含ませてから、親指、人差し指、中指、薬指、小指、そして手の甲の順に墨を入れていきます。

その施術にちなんで、漢字では「針突」と書いて「ハジチ」と読み、その職人のことを「針突師(ハジチャ―)」と呼んでいたそうです。

このハジチですが、墨を入れていく際に針で何度も何度も刺すことから、耐えられないほどの痛さであったと言われています。

今でも入れ墨は痛いと聞きますが、当時は現代のように医療技術が発達していないことや、衛生上もあまり良くないことから痛みも相当で、時に病気を誘発することもあったようです。

施術自体も見ているだけでも目をそむけたくなるほど、痛々しいものであったとのことです。

1回の施術で2~4時間ほどの時間を要し、ハジチをした後の数日間は、ひどく腫れ上がりかなりの痛みを伴います。

施術する際の痛みに耐えるため、大豆を炒って黒砂糖をかけたものを食べていたと言われています。

なるべく女性の負担を少なくするため、幼少期から回数を分けて少しずつ施術を行ってきた場合もあります。

そのハジチに関する貴重な資料映像がYoutubeにありましたので、ご紹介します。

南島残照 女たちのハジチ_サムネイル画像(映像民俗:https://youtu.be/RNVzkw-TP9w)
画像引用:南島残照 女たちのハジチ(映像民俗:https://youtu.be/RNVzkw-TP9w)

ちなみに、北海道の先住民族であるアイヌや台湾でも、同様の風習があったようです。


なぜハジチを行うのか

では、なぜ昔の沖縄の女性はハジチを行っていたのでしょうか。

それには、いくつか理由があったようです。

  1. シャーマニズム、厄払い
  2. 痛みを我慢することで結婚生活を耐えることが出来るといった一種のまじない
  3. 大人の女性への通過儀礼
  4. 日本本土やアジアなどへ連れていかれるのを防ぐ
  5. ファッション、おしゃれ、アクセサリー

4.に関してですが、他国との交易を盛んに行っていた琉球王国時代にアジアに売られていくのを避けるためや、17世紀の薩摩藩侵攻時に、薩摩藩の領主がハジチが施された琉球の女性を突き返したこともからも、女性を守るためであったことが分かります。

5.に関して、ハジチの歴史の中で多種多様なデザインが生まれてきました。首里(琉球王国時の首都で、現在の那覇市の一部地域)で流行りのデザインを聞きつけた地方の女性は、職人さんが来るのを心待ちにしていたようです。

また一部の職人さんは、その技術の高さやデザイン性などから人気があったようです。今でいう”カリスマ美容師”のようなものでしょうか笑

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当時の女性たちは、この風習をどう思っていたのか気になるな~

ハジチの風習の衰退と現在

このように、歴史ある風習のハジチですが、日本政府は1899年(明治32年)に、入れ墨を禁止する「分身禁止令」という法を制定しました。

当時は文明開化の真っただ中であり欧米諸国に近づくため、ちょんまげやお歯黒といった風習と合わせて、このハジチも同様に禁止令が敷かれていきました。

この禁止令を機に、ハジチは忌み嫌われる風習と変わっていきます。

禁止されているにもかかわらずハジチを行うと罰せられ、学校でハジチをして登校すれば教師に叱られたり、果ては塩酸で焼くようにしたこともあったといわれています。

またハジチを理由に離婚されることもあったようです。

それでもなお、昭和の初期頃まで密かに行われていたのは、沖縄の女性の中でハジチに対する誇りや憧れなどがあったからなのでしょうか。

現在は、ハジチをしているご存命の女性はおそらくいないと予想されます。

実際にハジチを掘った方の貴重な証言を聞くことは出来なくなりましたが、ハジチを禁止にしてからちょうど120年になる今年、「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」という企画展が2019年10月5日から、那覇市の県立博物館・美術館で開催されるようです!

公式サイト:「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」

ハジチについて、貴重な資料などが展示されていると思いますので、興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

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入場無料なので、私たちも行ってみようかな♪

最後に

いかがでしょうか。

冒頭でも述べたように、入れ墨に関しては様々な考え方がありますが、現代の日本ではネガティブな意見のほうが多数を占めている感覚があります。

今回のハジチの場合、性別や彫る個所が特定されており、文化的にも一定の合理性があったことを考えると無下に否定することは難しいのかなと個人的には考えます。

世界中にある入れ墨の文化のうちの一つ、として受け入れていきたいですよね。

この記事を書いた人:ヒケナン
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沖縄生まれ、沖縄育ちの純うちなーんちゅの30代男性会社員、二児の父です。
沖縄に関することや体験談、私や家族が気になったことなどをブログで発信しています。

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Posted by ヒケナン